大失恋から学んだこと

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過去2年半付き合った彼女がいた。
周りからしたら2年半なんて大した長さじゃないと思われるかもしれないが、
自分にとっては最も長い交際期間だった。


今でこそ良い思い出だったと、清々しい気持ちで振り返ることができるが、
別れを切り出された当時は頭が真っ白になり、常に寝不足のような状態で毎日過ごしていたことを鮮明に覚えている。当然ながら仕事をしていても全く身が入らなかった。
そして、挙げ句の果てには何を血迷ったのか、彼女の同級生に電話をかけ、自分の何がダメで振られたのかをしつこく聞いて正気を保とうともしていた。(今、思い返しても相当恥ずかしい黒歴史のようなものだ笑)

ある日、いつものように心ここに在らずといった具合で仕事をしていると、そんな私の姿を見かねて、一回り年の離れた先輩社員が話を聞いやると飲みに誘ってくれた。私と同じように失恋経験がある人にはわかると思うが話を聞いてもらえることはとても嬉しいのだが、根本的な解決にはならないのだろうなと薄々感じていた。そしてお酒も進み、こちらの思いの丈をぶつけ切った後で、ボソッと先輩が口を開きこう言った。

「そんなに人を好きになるってなかなかできひんし貴重な経験できてよかったやん」

私はこの時「何を言ってるんだこの人は。こっちは傷心真っ只中だぞ。」と心の底でぼやいていた。
確かに一般的に言えば大失恋=良い経験と捉えるには少々ポジティブ思考すぎると思われても仕方がない。
しかし、どうやらこの先輩も私と似たような経験があるようで、過去溺愛していた女性に振られ、20年近く経った今も忘れ去ることができずどこか記憶に隅に残っているというのだ。
ちなみに、どこかで聞いたことがあるのだが、生涯で運命の人に出会う確率は、0.00034%で例えると銀河系に知的生命体を発見できる確率の100倍程度とのことだ。
(もはや何が何のことだがという感じではあるが笑)


ぶっちゃけこの手の痛みは時間が解決してくれるものだから、どれだけ足掻いてみても結果は変わらないものと数年経った今もそう思う。ただ、あの先輩の一言とどこかで聞いた確率論から学んだことは、運命の人というのはそう易々と目の前に現れるものではないし、もし仮に出会っていたのだとしたらかなりハッピーなことだから、むしろ喜ぶべきであるということだ。私のように運命の人と出会えたと思っていても、一生その人と居られるとは限らないし、その際には心に深いダメージを負うこともあると思う。そしてその傷跡が何年も消えないなんてことも。。

でも考えてみてほしい。自転車も転びながら運転の仕方を覚えた人がほとんどではないだろうか。時には傷跡が残ってしまうなんてこともあるかもしれないが、それらを乗り越え立派に運転できるようになれば、傷跡を見返した時にはきっと良い経験だったと思える日が来るかもしれない。

まぁ結局何が言いたいのかというと、今もなお密かに引きずっているということである。。笑






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